人間は本来神性を宿す神の子であり肉体は神性の神殿、神の宮です。その神の子達が住む地域を守る鎮守・産土神を祭る神社は(神社という形になったのは近年ですが、かつては目印になる岩であったり大きな木であったり神々との出会いの場を指していました。)本来地域の神殿であり、その地に神の子達による理想郷をつくるため、全体を導く役割で降り立った宇宙生命体(人間社会にもそれぞれ社会を構築する上で役割があるように宇宙生命体にも役割があります。ここでいう神おこしの神はその地域に理想郷をつくるビジョンをもって降り立った宇宙生命体のことです。・・この存在を産土神と言います。)の声を皆が共通に聞く地域の柱となる場でした。
それぞれの地は本来理想郷となる場でありながら、ヤハウェの愛から離れた人間には親の愛と共に生きること・同じ親から生まれた兄弟姉妹が真の愛で調和共存する理想郷の理解は出来ず、どこかに歪みがある男女によって作られていく社会は歪んだ社会となってしまい、いつしか神の声は人間に届かず、その願いは闇の中にほうむられてしまいました。
産土神の神おこしは、本来神の子達と共にその地に理想郷をつくるために降り立ちながら共に理想郷を理解出来る神の子がなく、人間の自分本位の穢れの闇に閉じ込められてしまった宇宙生命体(産土神)を、人間の責任で穢れというやぶを焼き尽くし更地にして解放するということです。
人間の責任で成すことは、人間が生み出した穢れを自らの責任で浄化することであり、産土神の神おこしは、人間によって成されることではなく、皆さんの守護神によって成されることです。守護神の手足となり、私たちは人間の責任を取らせて頂きますという姿勢が大切です。
自らの神おこし(守護神の育みに気づくこと・・・親の愛の中で育まれている自分への気づき)と縁ある地の神おこしのために、人間がつくった穢れは人間自身の責任で浄化し、人間により荒れ果てた地は、人間自らが耕さなければ新しい田畑は生まれませんので人間の責任で成すのです。
次回に続く